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(無題)

 投稿者:  投稿日:2021年 4月 1日(木)00時47分42秒
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  私たちはどうにもならなくなって初めて、「祈ること」をどれほど真剣に捕えるべきかが分かる。

祈りによって自分が変えられること、もう一度生れ、神に育てていただけることを経験する。



祈らない言い訳として最初に考え付くのは、忙しすぎる、です。これは正当な理由ではない。

神との交わりや人間関係よりも、自分の職業、経歴、専門で自分のアイデンティティーを保つことができると思い込んでいるからです。ワークホリックは中毒症状を生み出す。



忙しさは内面の不安の表れです。何を優先して生きているのかを反映しています。

「祈れ、そして働け」とは中世の修道士たちのリズムです。



祈りを通して与えられる自己理解は、謙虚さを要求します。自分の倫理的現実を直視するとき、謙虚にさせられます。人間が神の義と聖の前に立つのは、自らの罪の現実に直面することを通してです。謙虚であるとは、自分の道徳的弱さ、すなわち自分の生活の中にある悪をどうすることもできないという現実に気づくことです。そのような状態を悔いて神に立ち返ることを意味します。



祈りは、自分の罪深さ、いかに自分が神を必要としているかを、知らせる形で迫ってきます。祈りは、神から直接学びたい、みことばの黙想を通して深く学びたいという願いを抱かせます。



神に対する思い(心)を持つことは、自分の人格の中心に神を迎えることを意味する。それによって私たちは神のかたちに形作られ、成長していくのです。

祈りは「する」ものではない。思いどおり神を操作して力を得るための呪文ではありません。祈りとは、神ご自身に心が向くように、内面が変えられるのです。
 
 
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