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48年ぶりの「立山・黒部アルペンルート」

 投稿者:69' 河村  投稿日:2018年 5月12日(土)20時25分22秒 180-145-85-90f1.osk2.eonet.ne.jp
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  去る5月の10日~11日、48年ぶりに「立山黒部アルペンルート」に、家内と二人、行って参りました。
といっても、当時(1970年12月初)、扇沢から黒四ダムに抜け、ケーブルとロープウェイ、バスで室堂に抜ける所謂「アルペンルート」は命名さえされておらず、正式の営業には程遠い状況でした。

一応、「黒部貫光㈱」の記録を辿ってみると、
立山トンネルが貫通したのが1969年の12月9日、立山ロープウェイ(黒部平~大観峰)の営業開始が
翌年の7月20日、室堂~大観峰のトンネルバスの営業開始が1971年4月25日、立山黒部アルペンルートが全線開通したのが同年の6月1日で、室堂ターミナルビルが全館完成したのはさらに遅く1972年の8月28日となっています。

1970年(小生2回生時)の同好会のEVE合宿は後立山。
白馬岳連峰の白馬大池にBCを置き、白馬三山へのアタックと雪上技術を中心に訓練していましたが、連日の日本海側特有の猛吹雪とミゾレ交じりの湿雪の洗礼を受けて、来年冬季目標の「後立山全山縦走」の苛烈さに想いを馳せて鬱々としていたのを記憶しています。

合宿から帰阪するのに前後して耳に飛び込んできたのが、立山、弥陀ヶ原(天狗原)での同志社山岳スキー部の遭難の一報(12月2~3日頃?)でした。
大学からの要請で、とんぼ返りで、信濃大町に取って返し、黒四からケーブル、ロープウェイを乗り継ぎ、大観峰からはダンプカーの荷台で、尻を打ちつけ、揺られ乍らの室堂入りでしたが、現地は前田建設の工事事務所が雪に霞み、一面のホワイトアウト状態。
私らが出来たのは、天狗原を中心に空しくゾンデを繰り返すのみで、結果的に同志社14名の内、7名の遭難者を出すに至り、間もなく捜索打ち切りになってしまいましたが、これが私の初めての「アルペンルート」であり、以後、このコースを辿ることはありませんでした。

1970年といえば、言わずもがな、剣岳・三の窓での上原君遭難の年であり、同じ大学、山関係者の学友を喪った年。
剣・立山の登山のメッカ室堂が、押し合いへし合いの観光地として人で溢れている現状との乖離に呆然としておりましたが、ただ、ターミナルビルを上に抜け、100mも歩けば、そこは昔ながらの、氷雪(わしら)の世界。
流石に観光客はターミナルビルの周囲やバス道の雪の回廊に屯するばかりで、靴の埋まる雪原には足を踏み入れようとしないのが救いです。
数日来の悪天から解放され、抜けるばかりの蒼天と眼を射る太陽。
眉を上げると立山の連山と剣西面の岩稜達、大日岳の緩やかな山稜とどこまでも嫋やかな弥陀ヶ原。
トレイルから一歩踏み出すと膝まで潜る雪の重さに、時空を超えて、感激すること新たな一日となりました。

(写真上から)
1.右から「針の木岳」、「スバリ岳」、「赤沢岳」、遠く「爺ケ岳」(大観峰より)
2.中央に白く「鹿島槍ケ岳」左に「五竜岳」、その左に「唐松岳」、右に「爺ケ岳」( 同上 )
3.左:立山連山、中央:一の越、右:浄土山 (室堂より)
 
 
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