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50周年記念品の在庫です

 投稿者:運営委員長70年度下山博充  投稿日:2021年 6月17日(木)10時04分34秒 p4492002-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp
返信・引用
  六月京都岡崎公園での骨董市の帰りに清水元会長宅へ伺い、
50周年記念品(三角旗34枚、バッジ27個)
活用と保存についてご意見があればお願いします。
 
 

Re: コロナ パンデミックの渦中に

 投稿者:69' 河村  投稿日:2021年 6月15日(火)15時36分7秒 121-80-168-218f1.osk2.eonet.ne.jp
返信・引用
  > No.448[元記事へ]

三松 吉胤様

 こんにちは、お便り本当にありがとうございます。
「住所録」の筆頭、我が会の創立者のお一人三松様の投稿には感激です。
 別にご案内しておりますが、当ホームページの最上部に「アーカイブス」というボタンが
あり、これを押しますと、「山行」という選択肢がありますので、先に進みますと、過去に
発行された「山行」「久露葉」「追悼文書」「50周年記念誌」などが収録されており、全て
のページを閲覧することができます。
 他にも昔懐かしい写真スナップも沢山収録されておりますので、ご覧頂けたら幸いです。
 (パスワード等は、今回配付の「会報」をご参照下さい。
 なんとかこのままコロナ禍が落ちついて、来春5月の「総会」「懇親会」で再会できます
事を楽しみにしております。
 時節柄、どうぞご自愛の程、宜しくお願い申し上げます。

69年度 河村 徹
 

コロナ パンデミックの渦中に

 投稿者:55 三松 吉胤  投稿日:2021年 6月15日(火)00時24分12秒 pl34928.ag1313.nttpc.ne.jp
返信・引用
   素晴らしい出来の会報、ありがたう御座います。
私達、経済学部の悪共、集まって何かしようと立ち上げた同好会が、かくも素敵なクラブになるとは!
ひとえに、ご賛同頂いた諸兄姉のおかげかと存じます。
 さて、小生、大東亜戦争(米英を相手の太平洋戦争)のさなか幼年期を貧しく、厳しい食料事情の中
空襲を避けるため石川県に学童疎開(集団疎開)し終戦を迎えました。私事で恐縮ですが、父は教育者で
国民学校(今の小学校)の訓導を勤めていましたが、やはり学童を引率、別のところへ疎開。挙句、軍隊へ。
父は平壌で敗戦を迎え、シベリヤ抑留になり、父親不在の幼年期でしたが、私メは、なんやかんやで高卒後、
上京、さる学校の英文科に在籍しましたが、失望感あり過ちを改めるに憚ること勿れ、とか訳のわからん事
ばかり言って、好き勝手させてもらって同志社大、そこで皆様との知遇を得、現在に至る訳です。
 今、老体に鞭打って現役、細々と造園業を営んでます。いずこも同じ、後継者不足になやんでます。
樹のこと、作庭のこと、少しわかりかけ、楽しく生きてますが、そこでこのパンデミック。おかげで経済、
動かず。ですが、これも貴重な経験と考えています。少し先行き明るく、出口が見えてきたとは早計ですか。
 毎冬の北陸、信州、あわよくば北海道方面のスキー行きを目途に、も少し、しつこく生きたく思います。
もはや、夜半過ぎ、拙い文、いずれ何処かでお会いできるのを楽しみにしております。


 

Re: 歌集の欠番をお持ちの方にお願いします

 投稿者:75年度藤岡  投稿日:2021年 6月11日(金)21時04分46秒 flh2-133-206-96-192.osk.mesh.ad.jp
返信・引用
  > No.153[元記事へ]

6年も前の記述引用になりますが、当事者の一人として記録しておこうと思います。

1978年発行の「山の歌第1集」は奥付けに有るように、同期の篠原と私と、'73定広さんで発行したものです。(多くの作業を担ってくれた定広さんが、名前を入れるなと言うので奥付けに入っていませんが)
原稿作成作業は、2回生3月合宿後から始め、5月合宿までに終えたと思います。
ガリ版刷りは自分たちで行い、製本を「山行」を出版してもらっていた木村桂文社に依頼しましたと記憶してます。
見ての通り、3人の筆跡が異なる歌集になっており、主にBOXで、時には修学院田中町の私の下宿に移動し、ガリ切をやったことを思い出します。
ワープロが個人化したのが80年代後半なので、あの頃は原稿はガリ切か、リソグラフだった。
ここからは、全くの記憶だよりだが、製本は300部程度作り現役用は取り置き、20周年総会で、OBの方々に販売したように記憶している。それでも余った部数は山彦、岳稜、山岳部に会長繋がりを利用して営業活動を懸けた。今は無き、山彦・岳稜は直ぐに購入してくれたが、山岳部は、裏表紙に「山岳同好会」と入っているのでと渋ったが、最終的に数十部購入してくれた。(山彦は部員数が多かったのでずいぶん捌け、ありがたかった)
結果として利益は出たので、その分はクラブ活動費に入れた。(会計報告的な知恵は無かった、何分21歳の若造でしたから)

5月22日に行われた運営委員会で福谷さんから発言が有ったが、現在のDAA会員には「山の歌」は全く伝承されていない。
なぜそうなったかは問うつもりも無いのですが、昨年私が企画したDCAC+DAAキャンプの目的の一つは山の歌の伝承でした。
だれも望んでいなければ必要ないにせよ、伝える努力(機会)は設けるべきだろうと思ったわけです。

今の現役が何を望んでるかは、66歳のOBとしては解りようも無いが、出せる情報は出し、その上で現役達の要望を聴くのが良いように思います。場所はやはり山で。

残す場所が思い浮かばないので、とりあえず記録させてもらいます。
 

ホエーブス預かり

 投稿者:運営委員長70年度下山博充  投稿日:2021年 3月28日(日)14時12分59秒 p4492002-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp
返信・引用
  3月27日に京都岡崎公園「平安蚤の市」と題した骨董市が開催されました。
桜も5分咲き、好天に恵まれ大勢の人で賑わいました。
帰りに清水孝也兄宅にて2台目ホエーブスを預かりました。ありがとうございます。今日点検したところ異常なし。
諸兄におかれても、山用品で使わないものがあれば引き取ります。勿論売上はDCAC会計へ入れます。
ご連絡ください。
以上下山
 

山用品販売報告

 投稿者:運営委員長70年度下山博充  投稿日:2021年 3月20日(土)19時22分13秒 p4492002-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp
返信・引用
  3月10日清水孝也兄からお預かりした山用品がほぼ完売しました。ありがとうございました。
販売額は12,000円でした。経費を除いて8,400円をDCAC会計へ入金します。
諸兄には使わなくなった山用品の供出をお願いします。
以上下山
 

山用品預かり報告

 投稿者:運営委員長70年度下山博充  投稿日:2021年 3月10日(水)23時50分17秒 p4492002-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp
返信・引用
  310日 57清水孝也兄から山道具かりました。
ホエーブスユマールカラビナハーケン簡易アイゼン等々・・・。ありがとうございます。
少しでも会計へ入金できるよう努力します。ユマールなどは売れるかな?!?!
以上下山
 

山用品販売報告

 投稿者:運営委員長70年度下山博充  投稿日:2021年 3月 2日(火)18時36分19秒 p4492002-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp
返信・引用
   コロナの高齢者への予防接種が始まろうとしていますが、如何お過ごしですか?
 福谷兄、稲垣兄から預かっていた山用品が今年2月に完売しました。
 70年福谷兄:スキットル2、72年稲垣兄:スベア123、山靴、背負子
 売上高は7,000円でした。経費を差引4,900円をDCAC会計へ入金します。
 既に報告していますが、昨年9月のピッケル5本販売の30,800円を加えて、35,700円を入金できました。
 ご協力ありがとうございました。

 これにて各位からお預かりした山道具は完売となりました。
 皆さん方も山道具供出お願いします。そろそろ「終活」を始めた方もいらっしゃると思います。
 母屋裏の蔵の中、屋根裏、押し入れにしまい込んだ山道具を現役のためのDCACの活動資金にしましょう。
 ご協力をお願いします。
 以上下山
 

Re: 常念岳南東尾根(その2)

 投稿者:69' 河村  投稿日:2021年 2月26日(金)00時14分25秒 121-80-168-218f1.osk2.eonet.ne.jp
返信・引用
  > No.440[元記事へ]

常念岳はほんと良いよね。
屏風の頭から見るモルゲンロートに輝く常念、夕間暮れ、安曇野から屹立してセピア色
に染る端正なピラミッド。
どこか眺めてもどっしりと落ち着いていて、騒がずとも確り自己の存在を誇示している。
剣や五龍に似た存在感があって、憧れの山の一つです。

その昔の夏の終り、うら若き家内と6歳の長男、3歳の次男と一緒に徳沢から蝶が岳に登り、その
すぐ隣で睥睨するかのように聳える常念岳や、流麗に連なる槍・穂高の連山を遠く眺めながら
陶然と佇んでいたのが、つい先日の様に思い出されます。
 

常念岳南東尾根(その2)

 投稿者:松下裕之(82年度生)  投稿日:2021年 2月23日(火)21時45分10秒 softbank221028095125.bbtec.net
返信・引用
  河村 様

委員会、お疲れさまでした。

常念東面のスナップですが、白馬までのパノラマを1枚撮影していますので掲載させていただきます。(写真上)左奥の一番高い山が常念岳です。
前常念岳からは常念岳がほとんど見えず、この1枚しか撮影していません。

うちの窓からは常念岳がよく見えますので、安曇野にお越しの折は、お立ち寄りください。(写真下)

 

「運営委員会」R3.2.22

 投稿者:69' 河村  投稿日:2021年 2月22日(月)22時54分44秒 121-80-168-218f1.osk2.eonet.ne.jp
返信・引用 編集済
   本日(2/22)、リモートにて、「運営委員会」を開催しました。
 藤岡氏(’75)や海老名氏(’14)に手を貸して頂き、Zoomミーティングで、20:00~22:00まで種々の議題について討議することができました。
 現役の矢田君、村田君を 含め、16名の参加者を得ることができ、特に後藤氏(’73)など遠方(旭川)からの参加もあって、コロナ禍で鬱屈しがちな昨近、懐かしい顔を見ながらの会議で、大変有意義なひと時を送る事ができました。
 最初なので、不慣れの為、若干接続に手間取ることも有りましたが、無駄話も無く却って有効な打合せができたのかなと思います。
 ただ、話題が多岐に亘った場合、決まった事、次回に持ち越した事、十分に皆の意見を汲み取れなかった事等々が曖昧で不十分になりがちなので、しっかり議事録をとって、再確認、フォローする作業が必要になりそうです。
 「議事録」は別途、当ホームページにUPしますので、ご確認下さい。
 

常念、いいね!

 投稿者:69' 河村  投稿日:2021年 2月22日(月)15時31分29秒 121-80-168-218f1.osk2.eonet.ne.jp
返信・引用
  敢えて、ラッセルに挑むあたり、皆、元気そうでなによりです。
常念方面から穂高を望むパノラマは、この山域の経験が多くない小生にとってすごく新鮮。
全体のバランスも良く、上手な写真だと思います。
常念東面のスナップももう少し載せてもらえると嬉しかったのですが。
 

常念岳南東尾根

 投稿者:松下裕之(82年度生)  投稿日:2021年 2月19日(金)21時44分35秒 softbank221028095125.bbtec.net
返信・引用
  先日、職場の友人と2人で常念岳を目指しました。
東尾根はトレースがついていそうなので、ラッセルを楽しみたい我々は南東尾根からのアタックです。
この尾根は、学生時代、高橋誠(82年度生)・岩滝基史(83年度生)・私の3人で、常念岳~蝶ヶ岳~上高地の縦走に利用した尾根です。
36年ぶりの南東尾根は、予想通りトレースは一切なく、ラッセルにつぐラッセルで、久しぶりに山らしい山を楽しめました。

【記録】

2月11日(木)烏川須砂渡ゲート7:25~9:40南東尾根取付10:05~13:50 BC(1830m付近)

2月12日(金)BC 6:05~12:30前常念岳13:05~15:30 BC

2月13日(土)BC 7:10~10:30烏川須砂渡ゲート

 

トレランの記

 投稿者:?61渡辺新次郎  投稿日:2020年11月16日(月)20時18分34秒 125-9-68-87.rev.home.ne.jp
返信・引用
  15日、滋賀の野洲駅から希望ヶ丘公園、周辺の山々から三上山頂を経て守山まで20キロ、4時間のトレランをなんとか走ってきた。マイナーな大会だがそれでも70名ほどの参加があった。コロナで他の大会の中止が多く欲求不満もあるのだろう。周辺の山々は藪山のような道で転倒しないよう慎重に走る。それでも転倒したが、寄る年波には勝てない。転倒した時に受け身をどうするか、考えながら転倒する。最近はだいぶん上手くなってきた。また上り坂ではそう引けはとらないのだが下りがダメ、エアロビクスでも習って敏捷性を少しでも保つ必要があるかも、三上山の登り、ヨタヨタで足がふらついている。下りの岩場はそれこそ「ヨイコラショ」である。まあそれでもなんとか完走できてよかった。ゴールにはまだ四分の一ぐらいの預かり荷物が残っていたからそれぐらいの順位なのだろう。最後の三キロほど一緒に走った若者から、渡辺さん尊敬します、僕もいつまでも走れるようそうなりたいですと言われてチョット幸せ!帰り山科の王将でビールと餃子でまたしあわせ!  

魚谷山 山行P.S.

 投稿者:75年度藤岡  投稿日:2020年11月15日(日)18時36分52秒 flh2-133-206-96-192.osk.mesh.ad.jp
返信・引用
  帰りに清水孝也さんのご尊顔を拝しに4名で便利堂を訪問。
病気の後遺症も有ると言われていましたが、奥さん共々お元気そうで何よりでした。
(大文字から永観堂を回り家まで歩いたとのこと)
コロナが収まったら近くの山へでもという事で辞去させていただきました。
 

魚谷山 山行

 投稿者:75年度藤岡  投稿日:2020年11月15日(日)18時04分4秒 flh2-133-206-96-192.osk.mesh.ad.jp
返信・引用
  11月14日(土)   メンバー 福谷・高橋・藤岡・山口
コースタイム 松尾谷分岐(9:34)-麗杉荘(10:35)-細ケ谷出合(11:50)-柳谷峠(13:04)-魚谷山(13:2)7-魚谷峠(13:37)-松尾谷分岐(14:37)

過去の山行計画書や地形図を整理していたら、「多賀一哉・高橋康子の結婚を祝う山屋たちのパーティー案内(『長すぎた春にピリオドを打たせる会』事務局代表 岡田慎一)」の案内ハガキが出てきた。実施は1993年10月30日 北山荘。
今は亡き慎一さんの顔をしばし思い浮かべたのだが、同時に北山荘はどんな状況なのか見てみたくなり山行を計画。いつものグループラインで連絡し上記4名(奇しくも昨年7月真砂沢ベースリバイバル山行のメンバー)で北山に向かう。茨木で山口氏の車に全員乗り込み雲ケ畑、松尾谷出合から直谷沿いに登り始める。
一昨年の台風21号による倒木が処々に道を塞ぎ、あまり改修されていない。麗杉荘は屋根が一部壊れ崩壊が進んでいる。細ヶ谷の丸太橋が悪そうなので豆ヶ谷側を進むが、倒木が甚だしいので引き返し細ヶ谷を進むことに。入山者が少ないためか、踏み跡も不鮮明でルート探しに結構気を使わされた(ので、ハイキングから山行に評価を変更)。旧北山荘看板、今西錦司レリーフを過ぎ、そろそろ北山荘と思いながら先行2名はルート探しに集中したため小屋を見落とす。後続2名は小屋を見たのだが(沢の左岸少し登ったところ)、柳谷峠で昼食するため急いでいるんだろうとそのことを先行に伝えなかった。(Netで調べると今も施錠していないようなので、近いうちに再訪し泊まってみるかと思っています。)
高度計が700m越えているので変だなと思い後続と合流しそのことが解った。
そこから小屋まで下るのも面倒なのでその場で昼食とする。
食事後、計画通りにピーク、魚谷峠、林道下山した。
暖かく快晴の一日、北山の紅葉を楽しめました。
 

Re: 書き忘れた質問

 投稿者:75年度藤岡  投稿日:2020年10月30日(金)11時37分11秒 flh2-133-206-96-192.osk.mesh.ad.jp
返信・引用
  河村さん
書き込み有難うございます。
私が現役のころ(故あって81年まで)は少なくとも河村さんの書かれた状況で、ロックトレ前日のお堂泊、新歓コンパ・歩荷トレの幕営も規制は有りませんでした。
調べなおしていたらクライミングジャーナル17号(1985.5)には規制事項は有りませんが、岩雪127号(1988.4)では駐車幕営禁止の注意書きがありました。
名称は共に「ゲートロック」とありました。
「レッドロック」は当クラブの固有の名称だったのか。作者(江良竜一、久野隆史とある)の間違いが記事と共に広がり一般化したのか?
 

Re: 書き忘れた質問

 投稿者:69' 河村  投稿日:2020年10月28日(水)17時27分17秒 119-231-55-190f1.osk2.eonet.ne.jp
返信・引用
  > No.431[元記事へ]

> 前から気にはなっていたのですが、DAAでは私が現役のころはもとより現在も金毘羅の南面最初のフェースをレッドロックと呼んでいますが、いくつかのルート本にはいずれもゲートロックと記されています。
> 確かに最初の岩場つまり門ということでゲートロックの方が正しい(岩も特段赤色でもないし)のかとも思います。いずれかのタイミングで口伝の中で「ゲート」が「レッド」に訛ったのか?
> 私より先輩の方々で何かご存じな事が有れば書き込み頂ければ有難いのですが。

 私が入学したのは69年度ですが、金毘羅さん麓の江文神社の拝殿がまだ解放されており、
広い板の間に前夜泊まり込んでは、一日中金毘羅の各岩場を飽きるまで登りこんでいたものです。
 少し横の河原には手頃な広場があり、歩荷前夜など、事ある毎に焚火を囲んでは安酒を呷って
いたものですが、今では夢物語という所でしょうか。

 ”レッドロック”という名称は、当時からそう呼称されており、いきなり覆いかぶさるように
屹立するその壁は、逆相気味で特に夜来の雨などでぬれている時などは陰惨なイメージがあり、
少し赤茶けた岩肌と相俟って、しっくりとその名が記憶に収まったのを覚えています。
 ただ、何時頃からか、”ゲートロック”という名称が一般的には使われているらしいというのを
知りましたが、昔から呼び習わされてきた名称を、ガイドブックか何かで記載された名称に従う
のも潔しとする気分にならず、同好会としては敢えて無視してきたのが本音かなという気がします。

 もう各ルートの技術的困難度が事細かに数字で設定され、ルートやギヤー類、テクニック等の名称が
全て横文字と化し、符牒で呼び習わされている現在、昔のノスタルジアに拘っても無意味だと思います。
 どうぞ、一番自然と思われる呼称に従えば良いし、ノスタルジー覚える方々はどうぞそのままでいて
結構かと思います。

河村 徹

 

書き忘れた質問

 投稿者:75年度藤岡  投稿日:2020年10月27日(火)20時00分28秒 flh2-133-206-96-192.osk.mesh.ad.jp
返信・引用
  前から気にはなっていたのですが、DAAでは私が現役のころはもとより現在も金毘羅の南面最初のフェースをレッドロックと呼んでいますが、いくつかのルート本にはいずれもゲートロックと記されています。
確かに最初の岩場つまり門ということでゲートロックの方が正しい(岩も特段赤色でもないし)のかとも思います。いずれかのタイミングで口伝の中で「ゲート」が「レッド」に訛ったのか?
私より先輩の方々で何かご存じな事が有れば書き込み頂ければ有難いのですが。
 

低山歩きと金毘羅ロック

 投稿者:75年度藤岡  投稿日:2020年10月27日(火)19時35分44秒 flh2-133-206-96-192.osk.mesh.ad.jp
返信・引用
  前報告の東高座岩クライミングで書いたように、この7か月あまり、運動不足、筋力低下、ウェイト増となっているので近場の低山で体力づくりを目論む。
自宅から自転車でアプローチしピークに向かう。このやり方の良いところは、自宅が海抜5m位なのでピークの高さがそのまま登った高さになるところ。
良くないのは自転車回収のためルートが制限されピストンになるところ。

10/16 天王山(270m) 10/14 阿武山 (281m)  10/16 高ケ尾山(480m)金毘羅山(561m)とコロナ禍体力低下回復に勤しんでいます。

今年に入り、旧友との岩登り再開のおかげで、岩に行けるようになったが姫路の御着、生瀬の東高座岩とアウェイ続き(私が行ったことが無いというだけなのだが)。
友人が20年以上前に一度だけ金毘羅にいったことが有ると言うので、ご案内かたがた、たまにはホームでと10/26(月)金毘羅へ向った。
友人はここしばらくリード・フォローで登っていない(リードしてロープダウン、その後トップロープ)とのこと。兵庫の新しい岩は下降ルートが無いものが多い。
そこで金毘羅で唯一マルチピッチ風になる、北面Mフェース(ノーマル5.6)からKスラブ(ノーマル5.7)と藤岡リードで登り、Y懸の頭で昼食。
その後大カンテを登るつもりで探したが、踏跡が判然としないので中止し、4コルより下りチムニー(チムニー5.5)も藤岡リード。
ピラミッド(ノーマル5.7)およびゲートロック(右壁中央5.7)は友人がリードで登攀終了とした。
二人とも今年で晴れて高齢者にカウントされたわけだが、「学生時代(40年以上も前)はビブラム底の皮靴で登ってたんだよな。これはなかなかすごいことだ。」
と話し合った。(ラバーソールのクライミングシューズを履いたのは80年代半ばのような記憶があるような‥‥。)
思い出してみると入部後始めての金毘羅では地下足袋で登ってる4回生もいらしたな(これはこれで一応ラバーソールシューズか)。
一年前に比べ各ルートはハンガーボルトによる中間支点の整備が進んでおり安全性が格段に上がっているが、古いハーケンの部分も有るので、クイックドロー
だけでなく、ロープスリングかダイニーマスリングが何本かあると通し易いし、安心感が違う。

現役時代は同期の篠原と北岳バットレス、前穂、北尾根4峰、明神などのクライミングを目指して、一日に10ピッチ以上は登ると目標を立てフェースからフェースに
駆け回っていた記憶ばかりが残っているが、今回Mフェース、Kスラブでセカンドを確保しながら景色を眺めていて、こんなにきれいに大原の里が開けてい見えて
いたんだと気が付いた。
とにかく金毘羅貸し切りの静かで爽やかな秋の一日でした。

 

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